スロパチ回顧録② 【3000円ジャグラー@大学2年冬】
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大学2年生の冬を迎えた私は、徐々に20円スロットを打つようになっていきました。とはいえ、20円スロットのAT、ART機を打つ金はなかったですし、触るのはもっぱらジャグラーでした。
存在しない高設定ジャグラーを探す養分
当時の打ち方は、
・合算130分の1くらいでBIG:REGが1:1の台を探す。
・3,000円打って当たらなければ即やめ。
みたいな感じでしたね笑。
少しスロットがわかる人ならご存じだと思いますが、平常営業のパチンコ屋のジャグラーには2と3(ボッタクリ店なら1)しか存在しない可能性が高いです。
ジャグラーをオール2で並べても、数台は絶妙に上ブレして高設定っぽく見えるんです。
そんなこともつゆ知らず、
「これ絶対6だわ!ジャグラーの設定6後ヅモ!」
などと言い、設定2のジャグラーを高設定だと思い込んで回してました。典型的養分です笑。
当然金はなくなる
そんな感じでお金を増やしつつ遊ぶため、3,000円ジャグラーをやっていましたが、なぜかお金はじわじわ減っていく。
途中経過で上振れしてるだけの設定2のジャグラーをぶん回しているので当然です笑
お金が無くなった私は、再び5スロ1パチに舞い戻ってきました。
低貸しながら大量獲得の快感を味わう
大学3年の春ごろは、5スロの荒いAT機、ART機だったり、1パチのMAX機を打っていました。
特に好きだったのは、牙狼シリーズやルパン三世のハンドルがついたやつでしたね。
今になって振り返ると、MAX機ってホントに射幸性の塊でしたよね笑。
MAX機がある時代にサラリーマンだったら、4パチで給料すっからかんになるまで打っていた気がします笑
そんな感じで大学三年生の春が過ぎ、大学三年生の夏に友人に誘われ一大イベントに参加することとなります。
そう、7月7日です。スロットパチンコを打ってから、初めての7月7日だったのでモウウッキウキです。当時は並び順入場だったため、某7のチカラのホールで友人たちと徹夜での並びをすることとなりました。(回顧録③に続く)
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